物の値段 と ひとの価値

観光通り近くのスーパーマーケットの店を人手に渡し

片田舎の半分壊れかけた八百屋とは名ばかりの店を半ばヤケクソで

コップ酒をひっかけながら営んで

糖尿病と肝硬変を病んで実父の人生は60歳と10日で終わった。
地元の大学でマルクス経済学を学んだことが誇りであり

自分は無神論者だと、なにが仏じゃ馬鹿らしいと、しょっちゅう言ってはいたけれど。
自分の葬儀のことについて、父は何も言ってなかったものだから

どうしたものかと母は迷った。
いま考えて
よくそんな度胸があったと思う。

『あんなやつ、兄弟でもなんでもない。顔も見とうないわ。あいさつも一切するな!』

といわれていた伯父の家にわたしはひとりであいさつにゆき頭を下げた。

『伯父さん。
父が今朝亡くなりました。

伯父さんと喧嘩ばかりしていたのは、わかっています。

もう口もきいてはいけないと、言ってました。

でも本心からではありません。
すみません、伯父さん。お葬式に来て母を助けてやってください。』

本家代々のやり方で地域の班の決まりその他のお世話にもなり
葬式は仏式で執り行われた。

『お父ちゃん、今ごろ、どっかその辺で見とって…頭から火ィ吹いとるかも、や。

そやけどな〜、世の中には、付き合いというものもあるからな〜。
こなんせんかったら、

後に残ったお母さんが、後々困ることになるやろからな〜。

お父ちゃん。これはね、しゃあないと思うのよ。勘弁してね。』

と、思い。

賢い姉がお嫁に行かずに家に居たら

たぶんこんな事にはなっとらんのにな…。と思った。


『しかし、
何かがわからんのやわ。

ヤケクソのカップ酒のんで
つぶれてゆく お父ちゃんはほっといて

死んだとたんにわらわらときれいなスーツの人やら袈裟きてる人やらが現れて
あれこれ、それでウン百万円が右から左に消えてゆく。

あなた達は
一体誰なんやろ?。』


…ああしてこうしてください、と言われるままに動きながら

頭の中でじつはそんなこと思ってた、25歳の私。

( 我ながら、嫌みな、変な困った奴だ…。)


…お葬式の後、数日たって

中学生3年生くらいの男の子がひとり母を訪ねて来た。

『…八百屋のおっちゃんが亡くなったって。
ボク、昨日まで知らんかったんです…。

ボク、ボク…おっちゃんには、
いろいろ声かけてもろて…

お世話に…
お世話になったんです…。』

真っ赤な目をこすりながら

泣き泣きその子は、そう母に告げて、

おぼつかない手付きでお線香をあげ、

深々とお辞儀をして帰っていった…。

父が、その男の子の何をどう助けたのかは、もうわからない。
…けれど、父は。

『八百屋のおっちゃん』で終わって良かったのだ。

…お父ちゃん、
お商売は失敗したけど

あの子に会えて良かったな。

あそこで 最後まで八百屋しとって 

良かったな。

見ず知らずの
男の子ひとり

男泣きに本気で泣いてくれたんやで?

お父ちゃん、
あっぱれやんか?

うちは、今でもそう思うてる。
ホンマやで。