幾つかの要点ポイント…箇条書き
【一族意識】
まぁね、な〜んか…あ〜なっちゃっても仕方がなかったんだな…って思うんだよね。
それが信長さんちのもとからの計画で策略の縁組み・結婚だったのか、
内側からの謀反や分裂だったのか。
とにかく、信長さんちの
信雄(のぶかつ)くんを お婿にもらって これでひと安心 ? なんて 考えてホッとしてたのが
運の落ち目のつき始めだ。
自慢だったはずの水軍も 鉄板船にボロ負けで、うちらは、守りたい御本家のみなさんの名前は『有馬』に変えて血脈保存。
名前背負って、おとりになって、北に南に東に西に、みんな散り散り。てんでに逃げて海を渡り阿波から讃岐に、なんとかかんとか逃げのびた…。
『どこの馬の骨とは、いわれぬように』
『気持ちまでも、落ちぶれぬように』と意識して暮らしていたんだろうな。
でもって。なんだかんだで、やり過ぎてこじれちゃったんだろうなぁ。
特に第二次世界大戦後の新しい時代の
まさか、みたいな大変動。そこからまたその後の高度成長期に、なんだかうまく一時的に
乗っかって浮き足立っちゃって。調子こいて高飛車に
うち以外の人たちを見下げて…
戦中戦後に傷ついてた自尊心を、保とうなんてバカげたことを…して。
自分たちがどんなに周囲にとって不愉快でバカげている集団であるか、
全然見えていなかったんだ。
自分たちの現状を直視できる人間がいなかった。
全員、別々な乳母さん育ち、兄弟でもぐれあって遊んだこともない間がら。
利用しあって批判しあって、
誰が一番優秀か。裕福か、イケテイルかの見栄張り競争。
心底信用なんて誰れもしてはいなかった。
誰かがなにかに成功し、嬉しそうにすれば妬んで陰口をきき、
なんかかんかで足を引っ張って
引きずり落として笑ってた。
教養も風雅の素養感覚も
いっときの貧しさ。ひとの下に立つことや、ひとに軽く扱われること。
生活のいろんな部分での見映えの悪さ。
長い目でみればほんの
いま一瞬のことだったのに…
忍耐できない。
見栄っ張りな
実用に欠ける
鼻持ちならない浪費と空気を生んだ。
裕福優雅は、悪いことじゃない。それをささえてくれる、ひととの様々な関係。文化と経済の流れだって、伝達だって素敵だし大切だった。
だけど。
それは
ひとに見せるために。
『自分たちはひととは、一段も二段も何段も違うのよ!』と証明して見せびらかすために
するもんじゃないよね。
たしかに素敵な優雅な豊かな時代があった。
でもその過去を意識しすぎて過去に寄っかかりすぎて
今現在に生きていなかったうちの大人たち。
無い物ねだりの在ること、けなし。
みんながなんだか不幸になってゆくのはカンタンだった。
みんなで崩れてゆくの、当たり前だった。
へんな星まわりに生まれたという、わたしのせいじゃ、なかったのでは…?
と思っています。
そういうのとはまるで違う考え方。暮らし方をするひとと
無事にご縁を頂きまして。
家族5人とネコ2匹。違う生き方してみています。
すったもんだにてんやわんやで
唖然茫然
大事件も勃発!
いったいどうなることやらと
途方にくれも
したにはしたのですけれど…。
なんとかかんとかなりそうです。
それはね
みんながいろいろ教えてくれたから。
みんなに出会えてた、おかげなんだよ。