おんなのひとにはなりたくなかった…おんなのこのお話!

ここで、ちょっと
わたしがその頃…へたしたら今現在でもだけど、大人っぽい知性的な高々生!の集団の中にいて、なんだか必要以上に子供っぽかったその訳について、話をしておくね。

あれは、わたしが小学1年生の時のことだった。

ある日、学校からひとりでハナうた混じりで帰ってきていたら、知らぬまに、男のひとにつけられていたのだ。

家について、

『きょうは、なにして遊ぼうかな…ぁあ?!い、いたーいっ!…』
ふりかえったら、知らない男のひとが変な目付きで後ろにたっていて、傘の先をわたしにむけていた。

それでスカートのすきまからパンツ越しに 後ろからその傘の先で臀部の一部を、かなり鋭く突つかれたのだとわかった。

びっくりしたわたしが、思わずワァーンと泣いたら そのひとはきょろきょろしながら そそくさと行ってしまった。

泣きながら八百屋の店先にいた母に訴えたが、なにをいっているのかが まずわかってもらえない。すすり泣きでつっかえ、つっかえ、
「知らないおじさんがついてきて、わたしのここを後ろからかさの先のとんがってるとこでついたぁー。」

といい終えたとたん、顔色をかえた母が

『かっちゃん!
また、ぼーっとしながら歩いてたんでしょうっ。

そんなだから、そんな恥ずかしことになるんです!いいかげんにしてちょうだい!なにをしてたの!』

そういって、気味の悪いものを見るような目でわたしをみた。

え。わたしが 悪いの? なんで?

わからなかった。

のちに、母がとある占い師のひとに、ふたりの娘の将来を軽い気持ちで占ってもらったところ

「長女のほうは何の心配もいらないが 次女の娘の方には、 色難の相が出ているから、充分に気をつけなさい。」

とかなんとかいわれていた事を知る。

ぼーっとして、道を歩いちゃだめ。ぼーっとしてちゃ。お母さんにまた叱られる。

でも しきなん…?色難ってなんなんだろう?。まあ、いいか…。

ハイジにアンに若草物語。青い鳥に 小公子に小公女。アラビアンナイト西遊記
そんな世界にどっぷりつかって

近所のみんなとお外で遊んでなんかいたら、ピアノに習字に計算ドリル、おねぇちゃんと同じようにはさっさと出来ず、お母さんの納得できるようなテスト答案や
良い点はとれない私だったので、いつからか、もっぱら家で、本が友達。

自宅には、少年少女世界文学全集・全28巻があり、

(…これがまた、いま眺めてみても編集にも挿し絵の美術にも、こども相手に実に手を抜かず本気で創られた全集で、そうそうたるメンバーでの構成。わたしは、じつにラッキーな子どもでした。)

古事記に、太閤記、道中膝栗毛、西遊記、アンクルトムの小屋にトム・ソーヤ、ネズナイカアメリカ文学からロシア文学まで読了して、おかげさまで国語は大好き、まかせといての日々。気分と頭の中では地球のうぇをひとまわり

だけれど、小学6年のある日、家族で出かけたお好み焼き屋さんの控えの待合室で横にあった週刊誌をなんの気なしに開いてみて、びっくり。

裸の大人のひとが、お布団のなかで絡まってるシーンのある時代劇風の漫画を見てまた、びっくり。
これってなに?

一瞬ののち、頭のなかに 水戸黄門のワンシーンやら、見せてもらえなかった必殺仕置き人の漏れ聞いた音声だの、お母さんに叱られて泣いて登ったりしていた屋根のうえでみた、ネコの恋路のはての交尾の情景なんかが 頭のなかを カチャカチャカチャとかけぬけて、ピキーン。

あ、そういうことか…じゃあ、
1年生のあの日もそうだったのだ。

おんなのひとは 男のひとに、かいらくの道具にされてしまいやすいのだ。そして、そうされてしまうことや、それを好むことは、おんなのひとにとって汚い、恥ずかしいことなのだ。

だからなんだ。お母さんはあの時、わたしを まるで汚いものでも見るみたいに見た。

そして、あの時も。
今年の春、クラスの女の子の間で、男の子たちの中で誰れが好き?っていうのがはやったときに、わたしは、I丹マサヒト君が良いなぁと思ったからそう言った。

それがまわりまわって、お母さんの耳に入っちゃって、授業参観の後で目をつりあげて怒鳴られた。
…あれにだって関係はあるはず。
でもひどいや。どう考えてもそんなのはへんだ。わたしが悪いんじゃないでしょ。

マー君はもっと悪くない。

『うちの子のファンになってくれてありがとう、なんだかとっても嬉しいわぁ、あんな子だけどね〜、わたしの自慢のむすこなのよ!。』

って言って喜んでくれた、
マー君のお母さんは
もっともっと悪くなんかない…

なのに、なのに、わけのわからないこといって、

お母さんは、わたし達をひどく悪いということにしたんだ…。

へんだ。なんか、まだわからないけど。

小学1年生。
あのときの男のひとは怖かった。でも、なんだかお母さんも、ずるい。

だいたい、おとなはうそつきだぞ。かんじんなことになるとわたしを子供だと思ってその場かぎりでごまかしてやり過ごす。
あてにはならない。

だから。だから、うまくいえないけれど、これはちゃんと自分で調べないと、だめだ…とおもった。

アルプスの少女ハイジからいきなり週刊誌へなんてのはなんといっても段差がありすぎて、頭が どうにかなりそうだったけれど、

(たしかこのころ、円形脱毛症になったりもしてたはず。だからイヤイヤ髪をのばしはじめるしかなかったのだ。単純にお母さんはやっと女の子らしくなってくれたといって喜んでいた。うー、…やっぱりなんかピントがずれてるよね―。)

が、とりあえずひととおり、べたべち、ぐちゃっとした内容を読みあさり、本屋さんでなんと家庭医学書からはじまり、あっちのたな、こっちのたなへと読みちらかして…学校でのおさかなの解剖も実は平気で興味しんしんだったかっちゃん、自分の体の構造についても…大確認!の、のち、

『ちえっ、こんなことせないかんのやったら、おとなになんか、ならんでもえーわ、バーカ!おんなのひとになるなんて、こっちからねがいさげだ!』

との、 結論をだして、

またドリトル先生航海記やら十五少年漂流記やらシュバイツアー博士物語やらの世界に、あっけらかあんと 戻ってゆくという、離れわざを してしまったのだった。
胸のなかにべっとりとしたなにかが残ってしまったけれど。

それでもまだ、何枚かの裸どうぜんの お姉さんの写真なんかは とても きれいで、他のものに感じるぐちゃらぐちゃらとはちがってみえたので、

あれはなんでかな?、他の写真となにが違うんかなあ?、不思議だなぁ…とも、考えていた。

たしか15歳までに文庫本の『O嬢物語』まで、読み終えていたと思う。

…ちゃあんと、それなりに、描写している状態については医学的にも正確にとらえていて、

『しかし、これってなんだろう。お姉さんは、なんだってこんなかなしいことになっちゃうんだろう?。
いつか、わかるかもしれないけど、なんかあんまりじゃん!お姉さんがかわいそうじゃん。しかもでてくる男のひとたち、全員まるでかっこわるい。ばっかみたい。でも、なんでか、わっからーん』

との感想を持って。

(今みても…みごとな当たりの感想である。とても学校には提出できそうにないけれどね…!
しかし
こうなるとだ、オクテなんだか早熟なんだか、自分でも よくわからない国語の力量。弱冠15歳おそるべし。)

ただ、わたしの家のなかには、お母さんにもとめられている「わたしのあるべきカタチ」がまずあって、学校の成績、おじぎにあいさつ生活態度、ピアノのおけいこ、習字に作文、

『まあ、よろしいわねぇ、お姉さんも妹さんも、ふたりそろって優秀で!』

『いえいえ、それほどでもないんですよ―。ふふっ』

…まあそれさえなんとか クリアーしていれば、その裏でわたしの気持ちが、面白がっていようと、こごえて震えていようと、あるいは怒りに満ちていようとも、

そんなことは 誰も知ったことではない、道徳お行儀その他を含めて、五科目芸術すべてに普通より優れて全マルであることを要求しておきながら、

その子供が勝手に成長したり、何かを考えているなんてことは思いもよらず、

『だいたい子供がそんな複雑なこと考えていたりするはずはないでしょ…だってまだ、子供なんですよ?』…と思っている。

まあそんな風な働いて忙しい大人達の都合のよい考えで出来上がっている家だったのだ。

だあれも知らない。
お母さんも覚えていない。子供の頃のわたしのはなし。

おとなになんかなりたくない、
おんなのひとになんかなりたくない、そんなものになってなんかたまるもんか…。

そうこころに決めていた、その理由はね…というおはなしでした。