(・o・)ノ 出演者各人からの承認が…とりあえず出揃いました…。感謝です。

cat-work2302016-03-02

わたしのスクラップ倉庫さん。

わぁい、お久しぶりだ〜。
あれこれあれこれ
現実の日常生活への対処がどうしても優先だからね。

生徒会顧問だった田中文男先生に
卒業したあと、就職活動するときにお話
して、約束したこと、忘れない。

『〇〇さん。

君は…、自分では気付いとらんかしらんがね〜、

どちらかといえば、あれじゃな。

だれにもなぁんも言われんのにじゃな、なんか自分で見つけてきて、またそれに夢中になってってしまうようなタイプじゃろうな。

よしよし。

ひとつ、わたしのじつに乏しい実経験からだがね、君に忠告をしておこう。

良いかね?

君にとってどんなに重大な何かを見つけて夢中になりそうになってもだ、

常に、優先順位というものを間違えちゃあいかんのだよ?。

ひとにはそれぞれ
どんなひとにもあるものなのだからね。

まずは自分の

『やらねばならないこと。』をやりなさい。

次には『やったほうが良いこと。』をやりなさい。

『やりたいこと。』はその後で、最後で調度いいんだよ。

いいかい忘れずに、前の二つをちゃんと先にするんだよ?。

何かに夢中になりすぎて…実はもっと大切にすべきはずだったものを、台無しにしたりしてはいけないぞ。

わたし自身の体験からの忠告だ。そういう痛い失敗をしたことのある張本人の、

わたしがいってることなんだからね、

忘れちゃだめだぞ。
よ〜く覚えておいてくれたまえ。

いいかい?

本当の意味での優先順位を考えて、それを忘れないでやってゆくんだよ?

そのうちに
またいろいろと見えてくるはずだ。

それに
人間というものは、本当にどうしてもやりたい事は、
最後だろうがなんだろうが

これが、またやれてしまうものでね。

あ〜だこ〜だと、やっていってるそのうちに、ある日気づいたら

『やりたいこと』が
『やらねばならないこと』の位置に

来ているという。

そんなことも
あったりする。

実にね〜、味わい深い面白いものだよ?人生とはね。』



……え〜と。まあ、そんなわけで

時には脱線しながらもわたしなりに田中先生との約束を守って
優先順位を生きてきてみた結果…ですね。

わたしの『やりたいこと』で『やったほうが良い気がする』この長い長い作文の製作と編集は、

中断しまくりながら
11年目に突入することになってしまっているわけですが。

でも……田中文男先生。
おっしゃってたこと、間違ってなかったと思うんだな。

『作文』自体は全然出来上がってないんだけど。まだ生徒会室をうろうろしてる段階で停滞してるけどね。

わたしの記憶と記録は一応保たれていってるし、

出来れば、こういう風に表現したいんだけどな〜って頭の中にあるようなこと…

……に対して、時間がかかってるまに

世間では機械やシステム技術が、どんどん向上してって、簡単ベンリになってってます。

ど素人のわたしでも、いろんなことが…もうかなり、やればじつは出来るような世の中になっちゃってる〜!。これってすごいことだよ。

いや、それよりなによりです。

田中文男先生〜。

娘やわたしや旦那の日常や健康の問題、教育分野のこと。

誰ひとり欠けずに
離婚もせずに
今日もキャーキャー笑って怒って
喧嘩して

今日はちょっとプンプンしすぎたな。悪かったかしら。
明日起きたら
一番に、ゆうべはゴメンナサイって言おうって考えながら
猫に寝をされている。

自分のやりたいことは、最後だよって、時には唇かみながらだけど、後回しにしてきたお蔭だと思っています。

さてスクラップ倉庫さん。

ここんとこ、ずっとあなたの所にこれなくて。ほったらかしてゴメンナサイ。

でも、大事な進展もあったんだよ。

『かつてのあなたをわたしが見かけた記録や記憶。

あなたがそうとは知らないで

あのころのわたしに教えてくださったこと…。

わたしを助けてくださったこと…。

勝手に自分が覚えているままに、こんなところにこんな風に勝手に書いちゃってます。ごめんなさい。
のぞいて見て読んでみて
もし良かったら…、なんですけれど。

嫌じゃなかったら、なんですけれど。

わたしの書いてる文章の中に、このまま出演してもらっちゃってていいですか?

書いてってること、
嫌だったり、間違ってるところがあったら、遠慮なく言ってください。お願いします。』

…と連絡して許可を頂きたかったひと達からのお返事承認を待っていたのだけれど。

この2月いっぱいで連絡できた方々全員からの、苦笑いとかあきれ顔とかニコニコ快諾とかのそれぞれの、
お返事が一応、出そろいました…!

だものでね…本当にホッとしている私です!

でもって、あれこれこうも、長々と書きちらして、書いてってることの、全体像のまとめ…っていうか。

『あのね、あのね。

実はあ〜でこ〜であのとき実はこんなことが、起きてたんだよ…。

わたし、忘れられないんだ、忘れちゃいけないって気がしてならないんだ…。

もう、ひとに笑われたって構わないの。

また、忘れちゃわないように、書いとくの!』

って。ちまちま、ちょこちょこ、いつまで〜も、子どもみたいに書いてってるわけだけど。

?結局、それって
何が言いたいからなんだろう?

?わたしは
何を忘れちゃいけないと思ってるの?

?何をどう無くしちゃだめだって、ずっと大事にしなくちゃだめだって、思って、書き残そうとしてるんだろう?


…って昨年の年末からある程度、箇条書きの形にしようとしてるんだけどね、

思ったよりなかなか難しい。


★まあ、生まれてくる家とか時代とか場所は
だ〜れも選べないからね〜。出たとこ勝負でなんとかしてくしかないよね。結局は。

…という話だよな。

★『家』っものってさ…。

家族?。運命共同体?。

まあ、職場も、国もそうだけどさ、ある種のグループでしょ?

成長したり
停滞したり
衰退したり
病んだり

…するんだよね。

◆でも、本来の健やかさ、

=互いの持っているものの違いや特徴を無視しないで、拒絶しないで

よく知り合って、わかり合って、尊重しあうこと。

尊敬とか謙譲とか共感する…みたいなこと。

◆創意工夫を楽しみ喜べること。

=手わざを始めとする生活の技術の基本とか柔軟に応用してゆくこと。現実的な対処する知識と技能力。

そんなもの達がある程度、ちゃんとあれば、かなり年代や文化のちがう間がらでも継続、連結連携プレー、そこからのいろんな発見や、喜びが生まれて、

発展なんかができてゆくはずなんだけどな。


Youtubeなんかにある
たったの『1分間』で有名な童話や昔ばなしの『あらすじや重要ポイント』をきっちりと語りきるシリーズの動画。

わたしの長い長い作文も
あんなふうに
まとめられたら
いいのになぁ。

★『好き』や『大好き』。

『なんとなく、何だか、好きだな、落ち着く。良い気持ち!』

『なんか、なんかよくわからないけど、嫌だ。キライ、落ち着かない。気持ちよくない。気持ちワルい。』

の感覚は実はとても大事ものだったんだ。

そのことに関して嘘をついたり、
つかせたり、
ごまかしたり
我慢しすぎたり。

ひとに
子どもに
女の子に

させすぎては
いけないんだ。

させなさすぎても
いけない。

うちのこども大人たちはね。
叱られるべきときに
叱られてなかったんだ。

大の大人に何でもしてもらって当然で

自分の身の回りのこと、自分の気持ちすら自分では平常を保てなかった。

だから
大人になっても

自分がいつもいっぱいいっぱいでイライラしてしまって、

自分より小さいひとを守れなかった。
温められなかった。
待てなかった。

教え導くようなやり方を知らなかった。

育てられなかったんだ。

子どものときに
お世話はされてたけど
ひとのお世話をするような機会がなかったひと達。

わたしもわたしの家の親族や家族も

そんなことして
自分のひととしての大事なセンサーを歪ませてはいけない。

という1例だ。

★わたしみたいに
ややこしいことは
してはだめなの。

なんとか脱することができた
いま現在だから

『ふ〜ん興味深い、面白いケースだね。』なんてひとに言われたりするけれど、

とんでもないいやな崖っぷちをわたしは何度となく歩いていたよ。

あんなところは
歩かないほうがいい。あんな歩き方は
しないほうがいいんだ。

わたしは本当にラッキーな子どもだったの…。ギリギリで助かった、サバイバーまれな例なの。

わたしの父も
その父の祖父も
伯父たちも…
伯母たちも…

みんな自分を自己顕示欲や競争心や虚栄心をコントロール出来ないままに、年をとり

最後なにかの渦のようなもの中に
巻かれて消えていってしまったもの…。

【作文:アンタは座敷わらしかミヒャエル・エンデのモモですか!〜生まれたお家で〜】

なんでかな…。
じぃやんとばぁやんと
いったいなにが違うんかな。

そうしてある日気が付いたのです。

ここのひとは、用事をいいつけるときに
だあれも

『あのな、いまな、なぁんかそっちで、やっりょるかな?』なんて相手の都合をいっさい聞かないし、

『あのなぁ、〇〇しよるとこ、すまんのやけど〜』

なんて、前もって言ったりしないってことに…!

そして
頼まれた用事をしても

『おぉ、ありがとしましたなぁ、おおきに助かりましたわい。』

なんて、大人同士でも言っていないし、ましてや子ども相手なんかには

絶対に言わないってことに…!

わたしはアホかもしれないが、これはいかん!という気がしてならなかった。それで…、じつにいらない事をしでかしておりました…。

〔中略〕

『お母さ〜ん、お父さんがね〜、用事しとるとこ悪いけど、△△を持って来てくれんかってゆうてる〜。』

『△△なんて、置いてあるとこお母さんは知りません、昨日、ご自分で置かれたんでしょ、お父さんでなかったらあるとこわかりません、云うといて。』

トコトコトコトコ…。

『お父さ〜ん。

お母さんがね〜、

ごめんなさい、△△の有るところがわからないので、お役にたてません。△△のあるとこは、もしかしてお父さんだけが、ご存知なんではなかったですか〜?って

いうてるんやけど〜。』

『なんやと、わからん?

あ〜、まったく、いっつも急ぎの役に立たんやつじゃ。

わかったから、そこどけわしがいくわ。
ああ、もう。どけっちゅうたら、サッサとどかんか!』

ふぅ…。無い頭つかって。言葉のすり替え通訳に、へとへと。

それでもって、ヘタな通訳のせいで後あと、そんなこと言った、言わんでまた、いらぬケンカも起きてしまったりしていたのです。

ああ、
なんでこんなこわい、おっとろしいところに
うちは居らないかんのやろう。

こんなとこは、嫌やや。
『好き』になんかなれないや。帰りたい…。

『ああもう、こんな面倒ばっかり。それもこれも、み〜んな、あんな田舎に預けたりしたからよ…あ〜あ、失敗したわ。』

だの

『あんたは、泣き虫の負け子ね。なんでも泣いたら済むと思ってるんでしょ。』だの、

この家では
聞く言葉
聞く言葉が

なんだかとんがっていてイライラしていて痛くて冷たくて、つらい。

…こんなとこ、嘘や。
絶対こんなん、ちがう。

しかし子供ながらに、それなりに、
『そやけど
この気もちはかくしとかんといかん。本当のお父さんとお母さんにわるいやろう?

いや、それよりなによりや。
わたしが悪いと
じぃやんとばぁやんが
悪いことにされてしまう。
それだけは
いや。ぜ〜ったいにいやだ!。

』とか思ってしまって…

余計に『好き』という感覚やその表現が

どうも『自然』発生ではないわけだから『作為的、というか…やっぱりどこかが演技的』になってしまうわけで。

どうにもすべてが
なんとも変なぐあいに残念ながらなってゆくのでありました。

……つづく…