サンキュー片手に、文句を言おう!

cat-work2302016-08-05

勘が妙なところで当たったかと思えば、遠大に大はずれにはずれる、凸凹鈍感。
そんなわたしが
最近になってやっと気付いたことがある。

この長い長い作文の制作…。

もしかして、これって…

『実は、わたし記憶を無くしてたの〜。』だの、
『在る意味自分が自分でなかったんだよ〜。』だの、

『治癒経過の記録と記憶の再確認、再度の消失防止のため…記憶を追って作文を書いてゆこうと思うの…。

ところで、あの時は、ホントありがとうね。

記憶が曖昧だっのに、それをごまかしてたもので、最近まで

ホントはどうか…わからないけど、たしか……だとか、日記にかかれてるひとなんだよな〜このひとって…。ふぅ〜ん、ホントだ。日記にあるとおり、そんな風に言うくせのある、笑うくせのあるひとだぁ〜。
…よく知ってるふりしててお会いしてたの、ゴメンナサイ。

あなたが居たからこそ、いまのわたしが居るのです!』


…とかなんとか妙なこと言って。
これって…もしかしてオレに言い寄ってきてる…?

こいつ、なんか、危険な精神的なビョーキな状態…なんじゃないか〜?って、
考えてしまったひとが

居らっしゃったのではないかと…思うんだ。

訳の分からないおそれを与え、なにがしかのストーカー被害みたいなものをばらまかれたり及ぼされるのではないか?って、
考えさせちゃったんだね。

誠に、誠に済まないことかもしれないが。

……そんな意味、そんな含みはまったくなかったです。ゴメンナサイ。

まぁ、確かに君はね。

なぜか大学に受かって、外国に旅したりては、その土産話をたまたまお話したりしてくれたあたりから、わたしの母と…それから甥っ子たちに、大のお気にいりだったから〜。

君のことを母にあきらめさせるのは、ホント大変だった。

なぜなら君は。姉の結婚相手と偶然同じ、有名大学に通ってたひとだったからだ〜。

もちろん、君は賢い人柄だって、もうかなりいいほうのひとだったと思うよ。
でもね、なにより
わたしの母は、どうも姉とわたしにお揃いの服、お揃いの経歴を着せたがってるひとだったものでね…。

本当に、失礼なことでした…。ごめんなさい。

そうそう
父や母だけでなく

ある時、大学であったひとのことをあれこれ
話してるらしい、君の声までが
意味のある言葉として ではなく…口パクの、変な音声に聞こえてることに、気付いて。

それでね
わたしは、
自分の状態がかなり深刻なことになっていると、自覚できたの…。

そして精神科に受診させてくださいと、母に懇願し…メチャクチャ拒否されちゃったんだっけな〜。

私達の結婚は5月。前もって社宅に引っ越し荷物を運びいれた後ぐらいにだったろうか、

まだまだ新婚だった君んちに、ご挨拶がてら2人で、お訪ねしたことがあった。


もしか、君の就職がダメになったりしたとしても、

『別に、わたしは構わないんですよ〜。あのひととわたしとあとひとりくらい、わたしがなんでもして働いたら、まずは食べてゆけますもん!』

…そういって可愛い赤ちゃん服の用意をしながら、楽しいお話を聞かせてくださり、街のあっちこっちを案内してもくださった…奥様の笑顔。笑い声。

よく遊びにも寄ってくれました。

君が長女さんのオムツを

ひょいっと顔色ひとつ変えず、楽しそうに手際よく替えてゆくのをみて、
わたしがあんまり感心して褒めちぎったもんだから、

うちの旦那さんも、顔色を変えずにオムツを替えるようになりまして。

君んちに次女さんが生まれ、
姉妹一緒に遊んでいるの。可愛いね〜って言ってたら、

うちにも、次女がやってきて…
今ではどちらの家にも元気な女の子が3人ずつ。

アスペルガーのうちの長女が
男の子は怖がるけれど、女の子には怯えないのは、

たぶん、赤ちゃん時代から、その方の娘さんたちと、お泊りで遊びに出かけたりして、親同士が笑いあってしゃべったり食事をしたりしてるのを見れたからなのです…。

このひと達は安全なのだときっと 彼女は
認識できたのでしょうね…。

そんな関係でいてくださるお友達家族がいらしたなんて…本当に良かった。ラッキーでしたねと…。、
東京の発達障害専門の女医さんは、喜んでくださっていた。

たくさんの
御礼を、あなたとあなたの家族にいおう。

ちょっぴりの 文句も忘れずにね。